カルテ今昔物語

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昨年の10月1日より、当院も電子カルテを導入致しました。
パソコンの端末一つで、千人以上もの患者様の情報を見ることができるのです。
紙のカルテだと、6畳部屋3部屋分でも収まらないのではないでしょうか?
すごい時代になったものです。
その電子カルテ導入にも様々な苦労はありましたが、それはまたの機会にお話させて頂くとして、今回は医事課の先輩に教えてもらった、オモシロ・珍エピソードをお聞き(お読み)ください。

最初の紙カルテはB5サイズでした。
今ではA4サイズが書類の基準となっていますが、以前はB5が主流だったんですね。
そういえば、小学生のランドセル、一回り大きくなっていますよね。
カルテは全て手書きです。
表紙も手書きのため、たまに誤字もあったそうです。
カルテの用紙は糊で継ぎ足していくので、どんどん分厚くなって、時々、外れてしまい「誰のカルテ?」なんてこともあったり…
カルテ番号は、氏名からとっていたそうです。
苗字の最初の平仮名に、苗字の3番目と名前の2番目と3番目を、例えばア行なら「1」カ行なら「2」サ行なら「3」というふうに数字に置き換えて作ります。
「神戸 花子(こうべ はなこ)」なら「こ652」になります。
そのため、同じ番号のカルテがたくさんあったそうです。
当時は診察券も紙の手書きのもので、持参されない方が多かったらしく、新人職員はカルテ番号を考えるのに一苦労したとのこと…
「あ・か・さ・た・な・…」と指折り数えている姿が目に浮かびます。
そんな診察券は、今はプラスチックのカードに変わり、お会計の時にお返ししています。
前は、受付後カウンターに診察券を並べて、患者様に取って頂いていたそうです。
“ご自由にお持ち帰りください”といった状態で、個人情報も何もあったものではなく、今の時代では考えられないことですね。
そして、同じカルテ番号がたくさんある故に、出し間違いも時々あったようで、そんな時は診察室にお呼びがかかり、先生にこっぴどく叱られることに…
当時は若く、血気盛んな先生に、カルテを投げつけられたことも!!
そんな先生の手書きのカルテを見て、処方箋を出したり計算をするのですが(処方箋を書く専門のスタッフがいたそうです!)中には、達筆な先生もいらっしゃって、字を解読するのに四苦八苦。
分からず聞きに行くと「俺の字が読めないのか!」と怒られる始末。
とにかく、忍耐、忍耐…
カルテには保存期間が定められています。
年々増え続けていくカルテを置いておくのも大変です。
保管場所は事務所内と倉庫ですが、倉庫は別棟にあったため、受付の人はカルテを求めて走り回っていたとか。
しかも、狭い棚にギュウギュウ詰めにされていたため、出し入れは大変で、古いカルテはボロボロで、色も黄ばんでいて「虫がいそう!触ると痒くなりそう!」と、当時のスタッフは“カルテ虫”と呼んで恐れていたそうです。
カルテ虫、ちょっと見てみたいような…
走り回るのはカルテ庫ばかりでなく、当時は医事課の職員が患者さんを中待合まで呼び込み、その後カルテを診察室に届けていました。
山盛りのカルテを、いくつもの診察室まで届けるために走り回る。
患者様から「カルテ運びさん」と呼ばれたこともあるとか。
重いカルテを持って、あちこちと走り回らなければならないので、受付職員は足腰が丈夫でなければ務まらなかった(丈夫になった?)そうです。
受付は体力勝負!
それは今も昔も変わらず大切なことです。

その時代、時代の流れがあり、物も人もやり方も、その流れとともに移り変わっていきます。
ボタンひとつで、その人のカルテナンバー(診察券番号)は、自動で割り当ててくれますし(以前、記事で掲載しましたが、今は1人に1つの“マイナンバー”です)、先生の象形文字を読み解くこともありません。
カルテを探して走り回ることも少なくなりました。
皆様の個人情報も、しっかりと守られております。
しかし、便利になっていく反面、今回聞かせてもらったような「大変だったけど、今思えば楽しかったよね!」と語れることがなくなっていく気がして、びっくりしたことに少し寂しくなってしまいました。
でも、患者様のことを考えて書くカルテ、打ち込むパソコン、どちらも気持ちは同じです。
変わっていくこと変わらないこと、昔と今、どちらも大切にして日々の業務に励んでいきたいと思います。
もちろん体力をしっかりつけて!