終活

最近よく聞かれるようになった「終活」。
就職活動の「就活」ではなく、終活とは「人生の終わりのための活動」とか「人生の終わりをよりよく締めくくるための準備」「より自分らしく生きていくための活動」などと訳されています。
終活とはただ単に「始末する」ことではなく、自分のため、あるいは残された家族への思いやりの活動とも言えます。

私が訪問している81歳のAさんをご紹介します。

Aさんの義父は街中で10人ほどの弁護士が働く弁護士事務所を開設されていました。
各界の有名人や政治家ともお付き合いがあったそうです。
Aさんはそこでお茶出しや食事の準備、掃除などの仕事をされていたそうです。
昔気質の義父は礼節に厳しかったと聞いています。
義母が寝込んでからは子育てと介護をしながらの仕事。
義母を看取ったあとは夫が病気となり、介護をしながら子育てと仕事の両立。
夫を看取ったあと、しばらくして義父が倒れ、介護、そして看取られました。

弁護士事務所を第3者に任せたあと、街中から現在の郊外に転居されました。
娘さん二人が嫁がれたあとは、大きな家で一人暮らしをされています。
持病に高血圧と狭心症があり、年に何回か体調を崩して寝込んでしまうAさんを心配して、2年前に主治医から訪問看護の依頼がありました。
Aさんとはそこからのお付き合いです。

裁縫や園芸、料理など多彩な趣味を持っているAさんですが、最近の話題はもっぱら「終活」です。
「私一人だし、こんなに食器があっても使わないから、親しい人に気に入った器があったら差し上げているの。娘たちが捨てるに捨てられないものだったら気の毒だから。」
「娘たちは嫁にやったでしょ。息子はいないし、もう墓は私でおしまい!お墓があると娘たちが気にするから墓じまいの準備をしているの。これは私にしかできないでしょう。」
「遺産は何かともめごとになるから、弁護士さんと一緒に遺産相続の手続きをしているところ。書類が多くて困っちゃう。遺言ってやつも書かないといけないし。今は呆ける暇はないわ!」
「自分のお葬式のことは娘たちに伝えてあるの。通夜・葬式の知らせは家族だけにしてね。葬式代の準備は自分でしてあるから香典は一切受け取らないでね。って!」
「着物は窮屈だからこの服を着せてね。写真はこれを使って。背は低いけど棺桶はケチらないで大人サイズにしてねって言ってあるのよ。」
毎回とても楽しそうに終活の話しをしてくださいます。

自分が死ぬ準備、死んだ時また死んだあとの話しは「縁起が悪い」と敬遠されがちです。
特に日本人はそうなのかもしれません。
果たして本当にそうなのでしょうか。
Aさんの活き活きとした顔を見ていると、終活を楽しみながら新たな人生を生きているようにも感じます。
私もそろそろ終活をやり始めようかな。
そう感じる今日この頃です。