「渡辺先生、ありがとう」~職員一同&みどり保育園の古いママ、パパより~

今年の4月から渡辺先生からみどり保育園の施設長を引き継がせていただきました、武内です。
渡辺先生には入職してから大変お世話になり、職員一同感謝いたしております。
定年で退職したのかと勘違いされる方もいらっしゃいますが、再雇用の形でみどり保育園の保育士を続けていきますのでご安心を…。
今回はひとつの区切りとして渡辺先生からメッセージを紹介したいと思います。

この度、平成31年1月末をもちまして定年を迎えることになりました。
昭和40年代、まだ小学生だった頃の私の母は専業主婦の傍ら、行きつけの商店街で小さな子を抱えながら働く店主さんのお子さんを、お店の開店から閉店する時間帯まで我が家でお預かりしていました。
もちろん保育士という資格は持っていませんでしたが、大変そうな状況を見てボランティア感覚で始めた預かりを、口コミで徐々に商店街に広がり1人から数人となり、小学校から帰宅すると我が家にはいつも幼い子供さんがいる状況でした。
昼食はもちろんですが時には夕食も一緒にテーブルを囲むこともありました。
現在の家庭的保育事業をその当時に母はやっていやのだと最近になって感じることがあります。
当時、保育園という施設があることも知らず、困った時には助けてあげようという、そんな母の姿をみて育った私は、いつしか保育士(当時は保母さん)になりたいと思うようになったような気がします。

夢がかなって独身時代に3年間保育士を務めた後、専業主婦となり3人の子育てに365日・24時間追われ、楽しかった保育園での仕事とはかけ離れた日々を送っていた当時、今度仕事をするなら子どもに関わらない仕事を見つけようと思っていましたが、8年間のブランク後再就職したのはやはり保育士という職業でした。

平成3年、縁あってみどり病院の院内保育園に再就職いたしました。
365日・24時間保育という保育所があると知ったのはこの時でした。
その当時のみどり保育所(当時は保育園ではなく保育所でした。平成18年に保育園に改名)、はみどり病院の一部署として、看護師さんのお子さんのみを保育していました。
よって私もみどり病院の職員の一人でした。

新入職員の歓迎会は当時の休憩室で行われていて、入職前でしたが私も参加させて頂きました。
月1度土曜日の午後に開催されるとあって、勤務の終わった職員も参加され、真ん中のテーブルにサンドイッチなどの軽食が用意されていましたが、新人の私にはなかなか料理に手を伸ばすことが出来ずいたところ、在職員の方が料理を取って渡してくれました。
新入職員に優しい家庭的な温かい職場だなと感じたのが第一印象でした。
現在では職員数も数倍にもなり歓迎会はホテルで大規模に行われるようになってきまたが、きっと新入職員を迎える気持ちには変わりがないのだなと思っています。

入職当時の私もまだ若く(?)子育て真最中。
園児と同じ歳の子どもを持つ母親でした。
同じ世代の働くお母さんたちとはいろんな事で共感が出来ました。
それから約28年間、今では園児の祖父母の方々と同じ世代となり(中には私よりもはるかに若いおじいちゃん、おばあちゃんもいらっしゃいます)、園児たちを見ていると孫を見ている年代になってしまいました。

みどり保育園に在職28年間、私の外見と比例して保育園も大きく変わりました。
みどり病院の一部署だったのが、平成5年には現在の(株)メディカルサービスに委託され、保育士職員もメディカルサービスの職員となりました。
保育園を利用されている職員も看護師さんだけではなく、病院の全部署の保護者、またグループ職員のお子さんも保育できるようになりました。
保育室も現在の一明マンションの一室から、年々園児数が増加するにつれ2部屋に増え、そして平成18年には現在の保育園が建設されました。
保育園建設は私のみどり保育園時代での一番の快挙な出来事になっています。
保育園建設には前々社長と保育士職員と建築会社の方と「あーでもない、こーでもない」と試行錯誤で快適な保育園作りの建設に力を降り注ぎました。
時には東京・千葉・和歌山・兵庫県内の保育園を見学に行ったのも良き思い出になっています。

この30年間に保育とは違って、地域の方々との交流の場にと「バザー」を開催したり、仕事と子育てで忙しい保護者の皆さんと交流が持てたらと、「親子遠足」の行事も設けさせて頂きました。
保育園職員、看護部はじめ病院関係者の方々の協力の元、現在も継続できていることに感謝いたします。

平成27年には神戸市の認可保育園となり今までの「みどり病院内みどり保育園」から「事業所内保育事業 みどり保育園」と新たに改名し地域のお子さんの保育も出来るようになりました。
神戸市全体に「みどり保育園」が認知されることとなりました。
平成の30年間で日本の保育園情勢も変化してきました。
働く女性が増え、保育園に入園する児童が増え、待機児童も増加の現象。
30年前は保育士の募集も少なく、泣く泣く就職浪人した私ですが、現在では保育士不足でどこの保育園も獲得に四苦八苦の状態です。

保育士を取り巻く労働条件もずいぶんと変わってきました。
私個人としても時代に乗り遅れないようにと必死の毎日でした。
30年も経過するともちろん巣立っていった園児たちも成人になっています。
中学2年生になるとトライやるで古巣のみどり保育園にやってきてくれる子もいます。
「高校を卒業します」「大学に入学しました」「みどり病院に就職しました」「子どもが出来ました」など報告しに来てくれます。
どのお子さんも働く両親のうしろ姿をしっかりと見ていたようで、医療関係に進んでいる子が殆どです。
保護者の皆さんは働きながらしっかりと子育もてしていたのが、お子さんの成長を見て伺えます。
保育園のバザーにも巣立っていった子どもたちが手伝いに来てくれるようになりました。
昨年には今までに退職した保育士も交えて子ども達が同窓会を開催してくれました。嬉しい楽しいひと時でした。
これも長年同じ保育園に勤めてきた保育士冥利につきます。
保護者の方ももちろんみどり病院で継続勤務中です。
子育てしながら長く勤められる職場。
そんな職場に巡り合った私は幸運だったと思います。

年号も「令和」に新しく変わり、私も初心に返ってみどり保育園で現役保育士として、若い保育士の足を引っ張らないように、皆様のお役に立てるよう努めさせていきたいと思います。
あと少しの間、宜しくお願い致します。
28年間、無事に勤められましたこと、家族をはじめ関係者の皆様に感謝いたします。

鈴ちゃん(江本)・果歩ちゃん(松本)・竜之介くん(廣島)と保育園バザーにて

3F病棟 大塚 歩ちゃんと忘年会にて