「もしもの時はどうするか、本人ともよく話をしてみて下さい」
以前、父が心不全で救急搬送された際に主治医から私達家族に言われた言葉です。
日本では死に際の話を本人とするということに抵抗を感じる人は少なくないと思います。
もちろん私達家族も「そうは言っても誰が本人に話すのか」という問題になりました。
結局、事務とはいえ病院に勤務している私に白羽の矢が…。
「いや、困る。言えるわけない」と心から思いました。しかし同時に、話し合いの必要性も判っていました。
困った私は、とりあえず看護師をしている従姉妹に相談することにしました。
・話をしないといけないのか
・従姉妹は自分の親のときにどうしたのか
・気管切開までするか
従姉妹は自分の父親の終末期の際、前もって話が出来ず自分で決断しなければならなかった苦悩を教えてくれました。「ああしたら良かったかなと今でも思うから、とにかく元気なうちに話しておいた方がいい」というアドバイスでした。
程なく一般病棟に移った父。
何の前触れも無く突然、父から延命について話を始めました。
「父さんは胃に穴を開ける栄養はしたくない。寝たきりになって、自分が誰かわからず行き続けるのは嫌だ」
家族、皆が驚きましたが「これは…今、話さなければ」と思いました。
「鼻からの栄養はどうなん?」など、少し父の意見を聞くことができました。
そして退院してから改めて話す機会はやってきました。その時もきっかけを作ったのは父です。
二度目は家族それぞれが自分の時はどうして欲しいかを話しました。話しているときは始終気まずい雰囲気でしたが、話し終わるとお互いすっきりしました。
現在、延命治療(終末期医療)は本人の意思が尊重されます。
病院でも、本人の意思決定を基本とした上で医療・ケアが行なわれます。
しかし、「家族と全く話し合ったことがない」「話し合うきっかけがない」という人が国民の半数を占めているといいます。
終末期は皆が迎えます。家族と話し合う前に、自分はどうして欲しいか、どうしたいか考えてみるのも必要です。
ちなみに、父は今も元気に過ごしています。塩分と水分の摂りすぎで母とよく喧嘩もしますが、毎日体重測定と浮腫みチェックをしながら自分なりに気をつけているようです。
今回の私の経験が参考になれば幸いです。