ようこそ!みどり訪問看護ステーションへ!パート2~“太陽に向かって咲くひまわり”、小川所長の素顔に迫る~

前回は、新入職スタッフへのインタビューで、スタッフが大事にしていることや職場の雰囲気を紹介させていただきました。
さて、今回は、みどり訪問看護ステーションの「顔」である、小川所長を紹介したいと思います。

小川所長は、小柄できゃしゃな見た目からは想像できないくらい「パワフルでバイタリティ溢れる人」そして「海のように深い愛情と、空のように広い心の持ち主」です。
“所長”なのでもちろん職場で“一番偉い人”ですが、気さくで壁がなく、とても話しやすい雰囲気を持っています。
スタッフの事を「私の宝物」と言い、「この人材が最大の武器」とも言ってくれます。
また、所長の話はわかりやすくユーモアに溢れ、聞いている私たちは自然と笑顔になりもっと色々な話を聞きたくなります。
そんな愛すべき所長に、日ごろスタッフが聞いてみたかったことをズバリ聞いてみました。

~小川所長への質問コーナー~

質問)訪問看護の魅力や大切にしていることは何ですか?

同じ空間で密にかかわることで、人と人とのつながりを感じられることが訪問看護の最大の魅力だと思います。利用者さんや家族さんを支援しつつも、その方その方の人生の学びを教えていただける貴重な現場です。ご高齢の方からは、“生活の知恵”というものもたくさん教えていただけます。

大切にしていることは、当たり前ですが“相手を思いやる気持ち”です。決して職業人としてや押しつけではなく、自然に相手の立場になって考えようとできる、相手のために何かしたいと思える自分であることです。自分の“人間力”というものをもっともっと磨きたいと感じています。
そして何よりも一人一人のスタッフが私の大切な宝物です。一人では何もできませんが、皆がいるからステーションが回っています。時には意見がぶつかり合うこともありますが、いざという時の底力はどの職場にも負けません。困った時に助け合えるスタッフのおかげで今の“みどり訪問看護ステーション”が成り立っています。

質問)利用者さんに対してもスタッフに対しても、小川所長は相手のありのままを受け止めてくれているように感じています。その秘訣は何ですか?いつも笑顔でいられるのは何故ですか?

ありがとうございます。日ごろからどんな方にも、またどんなことにも謙虚な気持ちで向き合おうと心がけています。でも、残念ながらそこまで人間ができていません。時には心の中で「なんだと~!!」と怒っている自分がいますし、態度にも表れているかと。そんな時は自分自身に「謙虚に、謙虚に」「どう、どう、どう…」と声をかけながら戒めています。

私、いつも笑顔でいられてますか?(笑)。悲しいときや辛いときはせめて顔だけでも笑っておく、“作り笑いでも、笑った顔が幸せを呼ぶ”、そんな風に考えています。これって少し「あんちょく」ですかね?(笑)。そもそも事業所のモットーである“暮らしに笑顔を”は私自身のモットーでもあります。言いかえると“暮らしに笑顔を”は“職場に笑顔を”にもつながっているのです。皆が楽しく働ける職場でありたい、そう心から願っています。

質問)所長の様に器の大きな人間になるにはどうしたらいいですか?

私にも教えてください。器が大きいといわれる人間になりたいですね。
でもそもそも器が大きいとか小さいとかは周囲の評価だと思います。周囲の評価ではなく、自分がなりたい自分になって、自分をもっと好きになりたいです。答えにはなっていないと思いますが、人と人との関係でぎくしゃくするときは、相手に変わってもらうのではく、まず自分が変われることが大切だと感じています。どこかの哲学本の受け売りではありますが。

質問)スタッフそれぞれの個性を尊重し、小さな問題、ちょっとした言葉も疎かにせずいつも正面から受け止めてくれて大変だなあと感じています。所長は今まで他人とのトラブルが原因で、コミュニケーションを避けたり逃げ出したくなったことはないですか?もしストレスがあるならその発散はどうしていますか

逃げ出したくなることはしょっちゅうありますよ(笑)。でも管理者と名が付く方はそう思っていらっしゃる方が多いのではないでしょうか。他人から見ればたいしたことないと思えることでも、その人にとっては“一大事”なことってありますよね。管理者である私にスタッフが呟いてくれたということは、つまり“一大事”なんだと肝に銘じています。
私にできることはなんだろうと考えて、他のスタッフとの公平性も考えながら、今できることをする。これができればすばらしい管理者なのでしょうけど、残念ながら今の私はまだまだ未熟者です。

その時々で違う答えを出したり、反省して後で修正したり…。とても“竹”のような1本筋の通った管理者ではありません。ただ、海の中でゆらゆら揺れる“海藻”でも良いのではないかと思うこともあります。嵐が来て振り回されても、根はしっかり付いている。嵐がおさまれば同じ場所でまたやさしくゆらゆら揺れている。そんな管理者でも良いのではないかと。

ストレス発散ですか?やっぱり現場(訪問)にでることかな。「そこも仕事かい!」と自分に突っ込みを入れていますが…(笑)利用者さんや家族さんから「ありがとう」「ごくろうさん」「頑張って」と声をかけてもらうと、「よし頑張ろう!」と力がみなぎる単純な人間です。

質問)リラックスできる時間はどんな時ですか?

コール当番が外れて、家でダラダラ過ごすときです。やっぱり家がいいですね~。
たまったドラマ(定番はNHKの朝ドラ、最近では「半沢直樹」「親バカ青春白書」ですね)の録画をゴロゴロしながら見る。ささやかなリラックスタイムです。

質問)たとえば急に1週間休みになりました。どう過ごされますか?

月並みですが、長いことさぼっている家族旅行に行って、きれいな景色を眺めて、美味しいものをいっぱい食べて、ゆっくりしたいです。ただ、成人した二人の息子が一緒に行ってくれるかどうかはわかりませんが・・・(笑)

質問)看護師になりたいと思った年齢ときっかけは何ですか?

小学生の頃は教師。中学生の頃は保健室の先生(養護教諭)になりたいと思っていました。
まず看護師の資格を取ろうと当時の医療短期大学に入学。そこで実習をしているうちに、看護師として働きたいという気持ちが固まりました。

看護師になって地元の市民病院に就職しました。急性期病棟で専門知識や技術を学び、バタバタと忙しく働く毎日でした。やりがいがあり、仕事が楽しくもありましたが、まだ看護師としても人間としても未熟者だった私は業務に追われ、「もっと看護がしたい」「一人一人の方とゆっくり向き合いたい」と感じていました。結婚して県外に移住となることをきっかけに退職。看護協会の訪問看護ステーションに就職し、訪問看護を学びながら仕事をさせてもらった時に「これだ!」と思ったのです。そこからはどんどんはまり、子育て、専業主婦の時代にもその思いは振り切れず、再就職に現在の職場を選んで今に至ります。

質問)仕事で思い出に残るエピソードを教えてください

そうですね。40代女性Kさんとのエピソードをご紹介します。
Kさんは腎臓癌、骨髄転移。終末期と診断された方でした。ご主人と二人暮らし。20代の頃に子宮がんで子宮を全摘されていたため子どもはいません。子どもが大好きなKさんは姪子さん甥子さんをとてもかわいがっていました。
骨髄転移の痛みを緩和するために硬膜外から持続モルヒネ注射をされ、尿意がわからなくなっているため尿カテーテルが留置されていました。歩くことはできず寝たきり状態。意識はしっかりされていることが多く、年齢が近いこともあり、訪問時は人気のドラマや芸能人の話題でよく盛り上がりました。

Kさんが徐々に衰弱されたある日のこと。私にお願いがあると話されました。「私が死んだら○○(姪)や△△(甥)に何も残してあげるものがないの。欲しいものは知っているけど、クリスマスプレゼントには間に合わないから今のうちに買いに行きたいんだけど…こんな身体では無理かな。」と。思わず「難しいかもしれない」と答えましたが、この願いを叶えてあげたいと思いました。ご主人に相談すると、ご主人も無理ではないかと言われましたが、看護師が同行してくれるなら協力すると言われました。

おしゃれでセンス抜群のKさんが行きたいお店は、当時人気スポットで注目を集めていたMパークでした。週末は人込みでリクライニング車いすと介護タクシーでしか移動ができないKさんを連れて行くわけにはいきません。平日に決行となるとご主人と私の仕事の調整が必要でした。
ご主人は快く休暇を取ってくれました。私は法人に相談し、責任を持って同行するために業務として付き添うことを許可してもらいました。もちろん主治医も快諾でした。そして当日。Kさんがお気に入りの服を着るのを手伝い、お化粧もして準備は万端。リクライニング車いすごと乗れる介護タクシーで片道20分。現地でKさんのお姉さんとも合流し約1時間の買い物。無事帰宅することができました。

買い物に行ってから1ヶ月ほどしてKさんは永眠されました。姪御さん、甥御さんももう大きくなられたでしょうね。優しいKさんの思い出は今も心に残っていると思います。そして私の心にも…忘れられないエピソードとして。

質問)プライベートで思い出に残るエピソードは?

私はこれまで2度死にました。正確には死んでいたかもしれないと思ったことが2度あります。1度目は看護師になってまだ3年目の時。車の追突事故で、側面から追突された私の車は横転し、私は田植え前の田んぼの中に放り出されました。(当時はまだシートベルトの装着が徹底されていませんでした)前にも後にも救急車で搬送されたのはその時だけです。打撲だけで済んだのは幸いでした。

2度目は今の職場で働いていた2012年。初めて受けたがん検診で癌を見つけてもらい手術をしたことです。おかげさまで今はぴんぴんと生きています。
そんなエピソードがあってから、今私が元気で生きていることは奇跡だと思っています。
大袈裟かもしれませんが、「生きてるだけでまるもうけ」という感じです。そう思うと、どんなに大変なことも乗り越えられるような気がしています。

<最後に〜みどり訪看スタッフから〜>

小川所長、たくさんの質問に答えていただき、ありがとうございました。
本ブログを読んでいただいた方も所長の人となりを感じていただけたのではないでしょうか。
誰よりも朝早く出勤し、誰よりも遅くまで仕事をこなし、どんなに忙しくても笑顔を絶やさず、スタッフが業務で判断に迷うときは話をしっかり聞き助言をしてくれます。
みどり訪問看護ステーションでは、所長の“勉強熱心で、常に新しい情報を吸収し、訪問看護師として何よりも利用者様に真摯に向き合う姿勢”に共感し、“太陽に向かって咲くひまわり”のようにスタッフ全員が同じ方向を向いて、日々業務に取り組んでいます。