私が訪問看護ステーションに入職し、最初に担当させてもらったのがKさんです。訪問当時は103歳。大腿部頸部骨折(保存的療法)が主病名の患者様です。認知症の進行に伴い以前よりベッド上生活をされていた方です。大腿骨頸部骨折のため緊急入院になりましたが、保存的治療の為すぐに自宅へ退院。退院後より週5回の訪問看護、月2回の訪問診療、毎日訪問ヘルパーの導入でサービス開始となりました。
<初回訪問>
初回訪問時Kさんは、自分の腕の力で少し上半身を起こし、総入れ歯を外し、パクパクと1口大に切ったサンドイッチを食べている衝撃的な姿で出迎えてくれました。認知症と難聴の為、会話はほとんどかみ合わず、私に話してくださる言葉は「メシもっと食わせろ」「コーヒーは甘めで持ってくるように」「甘味が足らん!」等々…ほとんどが食事についてお叱りの言葉です。ケア中には、骨折部の痛みがあり「誰に許可取って触っておる!」「やめんか!」と怒りモード。
往診の医師にも容赦はありません。先生が「Kさん、調子はどうですか?…Kさん!」と声をかけると「KさんKさんとやかましい!」と一喝。やや(かなり)口調が荒いKさんですが、誰にも遠慮せずにバシバシ話してくれる姿に爽快感を感じながら、怒られているこちらも自然に笑顔になる訪問時間でした。
そうはいっても、毎回60分しか訪問していない看護師とは違い、同じ屋根の下で暮らしておられるご家族には介護疲れが出ているのではないかと、キーパーソンであるお嫁さんの体調を定期的に確認するのですが、決まってお嫁さんは「私ができる事は食事の準備と洗濯ぐらい。あとの事はプロのあなた達にお任せするって決めているのよ。だからそんなに負担はない。お義母さんは怒っているときもあるけど、それはお義母さんの問題だもんね。お義母さんはお義母さんの人生。私は私の人生。私ができる事をお手伝いしているだけなのよ。それに、お義母さんは絶対に弱音や愚痴を言わない。すごいよね!愚痴で湿っぽくなるより、怒りで自分を表現してもらう方が私は良いと思ってるのよ。在宅介護ってやってみれば案外できるのよ!」と明るい笑顔で答えてくださいました。
お義母さんはお義母さんの人生。私は私の人生という考え方、とても響きました。怒りがパワーになっているKさんにとって、このような考えで接してくれるお嫁さんはKさんの良き代弁者であり、ベストパートナーだったと思います。
<Kさんの歴史>
訪問に行くたびに、何で大正生まれの女性がこんなに命令口調なんだろう・・。と不思議に思っていた(これは私の勝手な偏見です・・。)のですが、ある時、同居のお嫁さんから、Kさんは早くに旦那さんを亡くし、そこから旦那さんの経営していた工場を引き継いだ事。工場の数十人の従業員と自分の家族を守るために日々仕事に奔走されていたとの事。ミッションの車を自分で運転しながら営業にも出ていた事を聞いて納得しました。元祖キャリアウーマンですよね。時代背景も今とは違うので女性が働くって大変だったんだろうなと思います。若い頃のKさんが一生懸命働いている姿が目に浮かびました。
私の想像ですが、女社長として、きっとご苦労も多かったとは思いますが、弱音を出さず社員にテキパキと指示を出し働いている昔のKさんの姿が今のKさんに繋がっている!と歴史を感じた瞬間でした。
<生命力溢れるKさん>
暑いのが苦手なKさんは、夏になると毎年体調を崩しがちです。体調のバロメーターはもちろん食事量。食事が摂れず眠りが多くなる度に、往診の先生から家族へお看取りの説明がありました。私たち看護師も急変の可能性があることを覚悟していましたが、何とか10月のお誕生日を迎えて欲しいという願いも込めて、起きている時間に高カロリーな栄養補助食品を摂れるように、色々なサンプルを取り寄せてKさんが好きそうな物を選び、看護師・ヘルパー・ご家族と連携しながら介助をしました。そして、いつも嬉しい裏切りで見事に回復されるのです!Kさんの生命力にはいつも、すごい!!の一言しか出てきませんでした。
そんなKさんも加齢に伴い少しずつ食事量が低下していきました。「Kさん!」と呼んでも眠っている時間が増え、ほとんど発語なく過ごされ、静かなケアが続きました。もう一度、「やかましいっ!バカモノ!」と言う声が聴きたいなという思いは届かずKさんは106歳の生涯に幕を下ろしました。
Kさんとは自分がどうしていきたいかという意思決定を話し合えた訳ではありません。
しかし、お亡くなりになった後、Kさんの代弁者であるお嫁さんから「入院していたら、好きな時に好きなもの食べたり、好きなこと言ってたら怒られちゃうもんね。義母は自分の人生を自分の部屋で自分らしく過ごせたと思います」という言葉をいただきました。
<最後に>
Kさんが亡くなった後、参加した研修で紹介された曲があります。この曲を聴いて、自分の家族を想像したのと同時に、Kさんとの関りを懐かしく思い出したので紹介します。
「手紙~親愛なる子供たちへ~ 原作詞:不明 作曲:樋口 了一
年老いた私が ある日 今までの私と違っていたとしても
どうかそのままの私のことを理解して欲しい
私が服の上に食べ物をこぼしても 靴ひもを結び忘れても
あなたにいろんなことを教えたように見守って欲しい
あなたと話す時 同じ話を何度も何度も繰り返しても
その結末をどうかさえぎらずにうなずいて欲しい
あなたにせがまれて繰り返し読んだ絵本のあたたかな結末は
いつも同じでも私の心を平和にしてくれた
悲しい事ではないんだ 消え去っていくように見える私の心へと
励ましのまなざしを向けて欲しい
楽しいひと時に 私が思わず下着を濡らしてしまったり
お風呂に入るのをいやがるときには思い出してほしい
あなたを追い回し 何度も着替えさせたり 様々な理由をつけて
いやがるあなたとお風呂に入った 懐かしい日々のことを
悲しい事ではないんだ 旅立ちの前の準備をしている私に
祝福の祈りを捧げて欲しい
いずれ歯も弱り 飲み込むことさえ出来なくなるかも知れない
足も衰えて立ち上る事すら出来なくなったなら
あなたが か弱い足で立ち上がろうと私に助けを求めたように
よろめく私に どうかあなたの手を握らせて欲しい
私の姿を見て悲しんだり 自分が無力だと思わないで欲しい
あなたを抱きしめる力がないのを知るのはつらい事だけど
私を理解して支えてくれる心だけを持っていて欲しい
きっとそれだけでそれだけで 私には勇気が湧いてくるのです
あなたの人生の始まりに私がしっかりと付き添ったように
私の人生の終わりに少しだけ付き添って欲しい
あなたが生まれてくれたことで私が受けた多くの喜びと
あなたに対するかわらぬ愛を持って笑顔で答えたい
私の子供たちへ 愛する子供たちへ」
当たり前のことですが、私も含め、その人にはその人が歩いてきた歴史があります。
認知症や他の疾患をお持ちの方の家族にとって、その方は、歴史を共にした大切なお父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、妻、夫であるという事を私たち医療者が理解し、尊重して関わらなければいけないと改めて感じました。
これからも、様々な人生を歩んでこられた患者様に敬意をはらいながら、その人らしい人生が送れる様にサポートできる訪問看護師になれるよう頑張っていこうと思います。