思いもよらぬ介護の始まり

約7年と数ヶ月前、ある日を境に我が家の生活は一変しました。
高齢の家族が、階段から落ちて頸椎損傷を負ったのです。
両手に荷物を持ち、足を滑らせて顔から落ちたのです。
階段から落ちた直後は、動くことが出来ず、その場でもがいていたようでしたが、
何とか階段を上り、自室には自力で戻れていました。
特に自覚症状はなく、一見、顔面と眼以外は目立った外傷は無いように思えました。
眼球の充血だけのように見えたので、翌日眼科の受診を勧めました。

ところがその深夜に異変が起こりました。日付が変わろうとした頃でした。
眠りについていると、その時は近くですが別々に住んでいた私のところに、
もう一人の家族が駆け込んできました。
「○○がトイレに行こうとして立てなくなった。起こして」と。
すぐに駆けつけましたが、私の力ではどうにもなりませんでした。

異変が起こっていると思い、救急車を呼ぶことにしました。
救急隊曰く、「足の運動麻痺が起きている」とのことでした。

階段から落ちた直後は自力で自室まで戻っていたから、考えもしなかった言葉でした。
時間を経て症状が出てきたようです。
地域の管轄の病院では希望する病院がなかったため、
越境ではありましたが他地域の某病院に搬送をお願いし、受け入れてもらえることとなりました。

先生からの説明、手術日までの待機、着替えやおむつの運搬、リハビリの見学など、
それからというもの、全ての休日を返上して病院に通い詰めました。

あの日、あの一瞬さえなければと、悔しい気持ち、理不尽を感じる気持ちは尽きません。
しかし、過去は変えられなくても未来を変える、今できることに精一杯取り組むという、
思考のシフトチェンジをしました。
リハビリなどで今の状態をできるだけ長く保てるように、
これ以上悪くならないようにと一緒に寄り添って頑張ってきました。
このまま 残りの人生、枯れさせてなるものか!

頸椎損傷でも障害度はありがたくも軽い方でした。
杖で何とか自力歩行が可能な状態です。状況により時々車椅子は使用しますが、
不自由ながら食事やシャワーも自身で行えます。

そんな家族に対して、叱咤激励…いや 叱咤の方が多いかもしれません。
家族がこんな状態になったことを認めたくない、受け入れられないという思いと、
私が一生懸命になれば事態は好転するのではないかという気持ちでつい言葉に力が入ります。
でも、結果はいつも疎ましがられ、喧嘩になってしまいます。

私はといえば、出来る限りの事はしているつもりです。
病院の付き添い
役所の手続き
むくんだ脚のマッサージ、クリーム塗布、爪切り等身体のケア
血糖測定器リブレの装着と血糖値の管理、内服薬の仕分けと管理
エレベーターのあるマンションへの引っ越し
室内の随所に手摺を設置する(廊下で歩行訓練をしてくれたら…)など。
それに、今後両親を支えていくために自分自身の健康にも気をつけるようにしました。
断酒に睡眠管理など。
そして将来的には今の車を、介護用の自動車に買い替える予定です。
あくまで、予定ですが(苦笑)。

七年前、家族が頚椎損傷になるまでは、自分が病院の仕事で対応する、
患者さんやそのご家族の方の状況を、自分とは少し遠い事のように感じていましたが、
いざ当事者となると全く見方が変わりました。
毎日病院で接する患者さんに、あの人のどんなところが我が家とも共通しているな、とか。
その場合どう対処して、結果、退院先はどちらに移られたのかな、などなど。
ご自宅に退院された方のご家族の心労を想像したりもします。
いろいろな想像を自身に重ねて、果たして自分にはどこまで出来るのかどうか考えてみたり、
自分が出来る許容範囲を超えた対応が必要な時、どのような介護サービスを利用したり、
周りの方々に相談することができるのか、など考えてみたりもします。
今後は、医療と介護のバランスについて、患者の家族の立場としても、病院職員としても、
非常に考えさせられることになると感じています。
患者の家族という「当事者」の視点を大切にしつつ、これからも患者さんやご家族に寄り添った対応を心掛けたいと思います。