私を変えた忘れられない2つの言葉

3階病棟は消化器内科、消化器外科が中心の病棟です。医療や技術は日々進歩し、現場の医師たちは現在治療している患者さん達の状態を、レントゲン写真などを使って勉強会を開いてくれます。新しい抗がん剤を使用する時は、使用する患者さんに沿った効能や副作用などを説明してくれます。学校を卒業する時に、教師に「学校では無条件に情報を与えてくれる。だが、社会に出ると情報を自分で取っていかないといけない」と言われました。それを思うと無条件で教えてくださるこの環境はとてもありがたいと思います。日々、新しく学ばないといけないことが増えますが、それはとても新鮮で私には楽しいことと感じます。
そんな時にふと、あの時の症例の事を考えます。そして教師の言葉を思い出します。私には忘れられない2つの言葉があります。

1つ目の言葉は、准看護師学校の主任教師の言葉です。『あなた達は自分の病院でしか働けない看護婦になってもいいのですか。』これは主任教師がお話をされている時に騒いでいて注意を受けたときの言葉です。この言葉は私の胸に大きく響きました。卒業して次々と同期が働いている病院を辞めていく中、私も自分に問いかけていました。「今の病院でしか働けない看護婦だったらどうしよう」と。この言葉がなかったら、私は今でもその病院で働き続けていると思います。そして、私はみどり病院に来ました。

みどり病院は毎年2月頃に症例や研究の発表を行っています。病棟で1症例、代表の看護師が発表をするのですが、私の入職した年は「筋力の低下がある患者のADL(Activities of Daily Living:食事・更衣・移動・排拙・整容・入浴など生活を営む上での不可欠な日常生活基本動作を意味する)を拡大する」という症例でした。その患者さんは「動けないなら生きていても仕方が無い」とよく言われていました。病棟部会で看護目標を決める時「リハビリを頑張りADLを拡大する」と「自殺企図を防ぐ」の2つの意見に別れました。私はADLを拡大し動けるようになれば死にたいという気持ちはなくなるだろうと考えました。しかし、多くのスタッフが「私たちは学校で命が優先と習っているから」と言われました。リハビリを推していた人たちも納得したようでしたが、私には理解できませんでした。そして、理解できないのは私が准看護師だからだと思い正看護師の資格を取得するために進学しました。何としてもこの答えが知りたかったのです。その頃の私は、正看護師の学校を出て国家試験に受かることよりも、この答えが知りたいという気持ちの方が大きかったと思います。しかし、進学してもすぐに答えは見つかりませんでした。そんな時、夏休みに薄井坦子先生の「科学的看護論」を読み感想文を書くと言う課題が出ました。でも、その本では私の求める答えは読み取れず、“10年以上も前に書いた本なのに薄井先生が「自分の考えが間違っていなかった」と書かかれた文に驚いた”と書いたことを覚えています。感想文にその事と私の進学理由の症例発表の事を書き、答えが見つからないという事を書きました。すると教師は『看護の道は1本道ではありません。看護は山登りと一緒です。Aの道、Bの道、Cの道といろいろコースがあります。皆が同じ所を目指しているのなら、どこから登っても目指す頂上は一緒です。どのコースをとっても間違いではありません』と教えて下さいました。それが私の忘れられない2つ目の言葉で、私の疑問は晴れました。答えは見つかりました。

様々な患者さんに出会い、スタッフといろいろな意見を交わす時、自分の考えが間違っているのだろうかと思ったり、悩んだりすることがあります。そういう時こそ、先生の言葉を思い出し同じ頂上を目指して頑張っていけたらと思います。