<はじめに>
Kさん(93歳、男性)は28年8月に入居されました。
KさんはTHE・亭主関白!な方で、私たち職員には色々と作法や、人として・・・など教えてくださいます。
Kさんは事故の後遺症で難聴になられたため、大声で話されるので、時々、叱られているように感じてしまうのですが、話の最後には「あはははー」と笑ってくださいます。
その笑顔で私たちは安心して、ほっとできます。
<事故とリハビリ>
Kさんは高知県生まれ。
10人兄弟の4番目に産まれました。
戦後、集団就職で相生の造船業に就き、40代では技能者としてシンガポールに単身赴任に行かれたそうです。
そして54歳で早期退職され、その後は嘱託で働きながら、農業もされていたそうです。
85歳の時に畑に行く途中の坂道で交通事故に遭い、生死を彷徨うほどの大怪我をされたそうですが、奥様の懸命の介護の末、一命を取り留めたそうです。
医師からは、「寝たきりになる」と、言われたそうですが、奥様のリハビリの甲斐があり、車椅子で移動ができるまでに回復されたそうです。
今でもホーム内ではご自身で車椅子を駆動され、後遺症で右の指に拘縮がありますが、フォークを使い、食事も自立されています。
できることはなるべくご自身で行うスタンスは揺るぎないです。
<大切な奥様>
奥様は3つ年下で遠い親戚だったということです。
こちらのホームに入居をされる前に面談に伺って、お話を聴いていた時に、奥様のことを「よく出来だ女房だった」と、言われ、それを聞いた娘様は「お母さんが生きている時に言ってあげてほしかった」と、涙を流されたそうです。
奥様は料理上手で調理師でもあり、婦人服、子供服も作っていた、とKさんに伺いました。
現役時代は仕事一筋で家庭のこと、4人の子育ては奥様に全て任せていたそうです。
事故を起こされたKさんを懸命に看病された奥様はがんに侵されていたそうですが、亡くなる3日前まで、痒がるKさんに薬を塗っていたそうです。
尽くす女性だったそうです。
娘様はお母様のようには決してなれないと話されていました。
<頑張り屋のKさん>
頑張り屋のKさんは不自由な手ですが、孫の手を器用に使い、カーテンを開け閉めされたり、床をぬらしてしまったら、ご自身でふき取りをされます。
大きな体で、思うように体が動かせなくなっていても一生懸命に自分で出来る方法を考えておられます。
その姿にいつも感心させられ、感動をいただいています。
<実は・・>
そんなKさんは実は寂しがり屋さんなんだなぁ。と思う時があります。
それは、娘様たちがお仕事でしばらく会いに来られない時、用事を作り、娘様に電話をしてほしいと言われることがあります。
そして、来られた時はうれしそうに笑っておられます。
「いつも難しいことを言ってごめんね。ほんま、頑固おやじやから」と娘様は私たちスタッフを労ってくださいます。
ありがたいです。
頑固おやじだったKさん、今もプチ頑固おやじだとおもいます。