
みどり訪問看護ステーションは「暮らしに笑顔を」を合言葉に自宅で笑顔あふれる自分らしい人生を過ごし、介護する方もされる方も笑顔こぼれる生活が送れるように小川所長を筆頭にスタッフ全員が日々訪問看護にあたっています。病気になっても少し身体が不自由になっても、住み慣れた自宅で過ごしたいと思う人はたくさんいらっしゃいます。
それは同居のご家族がいる方だけでなく独居の方でも同じです。
私たち訪問看護師はそういった方々の「暮らしに笑顔を」を叶えられるように専門的な知識と技術を提供し、健康面・生活面での困り事を知り医療的処置をしたりご家族でも出来る身の回りのケアの方法を、それぞれの家庭でするにはどうすればできるのかをご本人やご家族様と一緒に考えていくことを大切にしています。
当たり前ですが利用者の方々は様々な考え方をお持ちです。同じような状況の方でもお一人お一人経過も違えば処置やケアの方法も違いがあります。私は看護師なので医療者目線でのアドバイスを行うことが多いのですが、私たちの提案を受け入れてくださる方もあれば受け入れて頂けないことも多々あります。
病院では病気の治療が最優先で行われるため医療者主導になることが多々あります。一方で在宅では日常生活を送りながら療養される方の支援をしていくため、ご本人やご家族の気持ちに寄り添いながら専門的な知識や技術、情報を提供するためご本人、ご家族が主導となることもあります。そのような方々に関わっていく中で“これでいいの?” “こうした方が楽なのに・・”と医療者として葛藤することもあります。
例えば、がん末期の状態で痛みや苦痛を緩和するために医療用麻薬が処方されることも多くあります。過去に身内をがんで亡くされた経験があり医療用麻薬に対して良い印象を持たれていない方のケースでは「大丈夫です。痛くないです。あの薬(医療用麻薬)は使いたくないです」と頑なに拒否されていました。
医師からの何度かの提案に処方を受けられてからは拒否なく服用されました。それでも夜間は疼痛のため不眠傾向で鎮痛剤を促しても「痛くはないです」と拒否。唯一服用されたのは「あれは眠れるんです」と言われたカロナールでした。この方は最期までご本人の本音を聞く事はできなかったかもしれません。
また、別の方は独居の90代女性。離婚しシングルマザーとして仕事と子育てをしながら生活をされていました。その当時の女性が仕事を続けることはかなり大変な時代だったと思われます。その時代を乗り越えられたこともあり自己主張ははっきりされている方でした。
何度かの入院を経験されたあと、訪問診療へと切り替えて在宅療養を選択された時から「何があっても入院だけはしない。このままこの家で死にたい」と事あるごとにおっしゃられていましたので私もその覚悟で関わらせていただきました。
加齢とともに転倒することが増え骨折はないものの手や足にキズをつくることが増えてきました。免疫力が低かったこともあり感染が心配され、その都度医師からも創傷治療目的での入院を提案されましたが、頑なに拒否され最終的には創部の細菌感染から敗血症をきたし永眠されました。
亡くなられる前日の夜に初めて「息苦しい」と言われ在宅酸素が開始となりました。その時はご自身でも悟っておられたのでしょう。退室前の私に「いつもありがとうお世話になりました」とおっしゃられました。私は「明日の朝も来ますからね」と返しましたが翌朝に永眠されました。
この2つの事例は事前にご本人の意向を承知しその都度の意志を確認しながらご本人の意向に添ったケアができて、ご本人が望まれた通りの最期を迎えることができたのではと思います。

みどり訪問看護ステーションの目指す「暮らしに笑顔を」は自宅で自分らしい生活を送ることが笑顔に繋がると考え、ご本人やご家族の意向に添ったケアを心がけています。もちろん私は医療者なので医療的にどうしても引けないところはありますが・・・
在宅で行う治療や介護には常識的なものは除いてこれが正解!というのはないのかなと思います。その都度その都度の状況を説明し、そこで考えられる選択肢を提案し、ご本人やご家族が選択した答えが正解なのだと思うようになりました。
もしかすると以前の私は医療者目線で治療や介護についての意見を押し付けていたところがなかったか?だからこそ自分のなかでモヤモヤしながらケアしていたのではないか?と反省しています。
今後は医療者としての目線を保ちつつ、ご本人やご家族の意向に寄り添い、利用者様やご家族の選択した答えの中でいかに負担なく穏やかに過ごせる方法は何かと探りながら常によりよいケアを考えていきたいと思います。
訪問看護の奥は深いと感じる今日この頃です。