「はい!」いつも元気なお返事をしてくださいます。Mさんのこと

Mさんは、昨年の7月、ホームが開設して1週間ほどして奥様とご一緒に入居されました。
長崎県に生まれ島原で生活されていたそうです。
口数が少なく、ご自分から話されることはほとんどなく、穏やかな方だと思います。

ところが、昔のMさんのことを娘様に伺うと、「怖くて大嫌いだった」と話されることがありました。
躾が厳しく、娘様に手をあげられたこともあったそうです。

お若い頃は、戦争中だったこともあり、予科練に行っておられたそうです。
私は戦争のことは全く無知で、予科練という言葉を聞いたことはあったのですが、何の知識もなく、この文章を書くにあたり、少しだけお話を伺おうと、Mさんに
「昔は予科練に行っておられたのですね。おいくつだったのですか?」と尋ねました。
Mさんは感極まり、涙をこらえて「18歳のときに・・」と声を震わせながら答えてくださいましたが、それ以上のことは話されませんでした。

予科練とは「海軍飛行予科練習生」を略した言葉です。
20世紀の始め頃から世界中で飛行機の開発が進みパイロットがたくさん育てられていました。
日本でも世界に遅れないようにするため当時の海軍がパイロットの基礎訓練をする航空兵養成制度を作りました。
これが「予科練」です。
予科練の試験は14歳半から受けることが出来ました。
予科練の訓練は3年~6ヶ月以内と入隊するコースや年代によって様々でしたが、とても過酷で厳しい訓練だったようです。
昭和5年に制度が開始されてから太平洋戦争が終わるまでの15年間、全国から24万人の方が予科練に入隊したのですが、そのうち戦争に参加されたのは約2万4千人で、その80%にあたる約1万9千人もの人が亡くなったそうです。
ほとんどの予科練生は戦争が激しくなってから入隊したので、途中で訓練が中止されてしまったため、その後は防空壕を作ったり、日本本土を守るべく特別攻撃隊(特攻隊)となったりして終戦を迎えたのだそうです。

スタッフの中からも、おじい様がやはり予科練を修了し出征の日にちも決まっていたという話が出てきました。
それを涙をこらえて聞いておられたMさんの表情を見て、私は、厳しい時代を懸命に生きてこられ、辛い経験、悔しい思い、たくさん味わってこられたMさんが、娘様には厳格なお父様でおられたのであろうと想像しました。

Mさんは、戦後は国鉄職員となり、定年まで勤め上げられたそうです。
現役時代は仕事人間で、家庭のことは奥様に任せっきりだったそうで、「現役時代は毎日部下たちと飲み歩いていて、帰りは午前様だったんです」と、時々、奥様が愚痴をこぼされます。
それをバツが悪そうに黙って聞かれるMさん。
とても仲の良いご夫婦です。
これからもご夫婦仲良く笑顔で過ごしていただきたいです。